ハンバーグの歴史
vol.11
明治時代、初めて公の場で披露されたハンバーグはトマトソースだった!?
日本において、「ハンバーグ(ハンブルグステーキ)」という名称と現在に続く調理法が合致する料理が公の場で披露されたのは明治15年(1882年)のこと。日本初の料理学校「赤堀割烹教場」の開校披露の席上でした。
赤堀割烹教場は、現在も「赤堀料理学園」として東京・小石川で130年を超える歴史を重ねています。
この開校披露の席で振る舞われたのは、一体どういったハンバーグだったのでしょうか?
答えは、赤堀割烹教場の明治44年(1911年)の講義録に詳細がありました。
初めて公の場で披露されたハンバーグのレシピ
【分量】
牛の挽肉百匁(もんめ)、小なる玉葱一個、玉子一個、バター少々、食塩少々、胡椒粉少々、パン粉少々
【調理法の手順】
これは右記(みぎ)の挽肉又は牛肉を俎板(まないた)に載せ、庖丁の背の方にてよく叩きお皿中(さら)に加(い)れて置きます、これより玉葱の皮を剥き去りまして水洗をいたし、水気を拭(ぬぐ)ひまして俎板にとりなるべく細小(こま)かに截(き)りまして前記(まへ)の牛肉と混ぜ、今度はバターをよく煮溶かしてこれもかの牛肉と混ぜ、尚ほ塩と胡椒粉とをほどよく加へましてよく混ぜ合わせ、適宜(てきぎ)の大きさに丸めまして鶏の子状(こなり)に拵(こさ)へ、よくパン粉をまぶしましてフライ鍋(パン)の中へバター又はラードを加れて火に架(か)け、よく煮溶けましたらかの丸めた材料を加れて六七分間ほど揚げてお皿にとり、かの上部(うへ)よりトマトソースを注(か)けて供します
牛肉100%!それも挽肉ではなく、叩いたものを使用し、つなぎは使わずに塩の結着力のみで成形するというご馳走感あふれる仕上がり。周りにパン粉を付けることで、崩れるのを防いだようです。メンチカツに近いビジュアルになるのでしょうか?
どんなトマトソースだったのでしょうか?
ソースはトマトソースとあります。
トマトソースは、明治時代にヨーロッパやアメリカから日本に伝わりました。
講義録には詳細が書かれていませんが、当時の時代背景を考えると、トマトと香味野菜、香辛料やバター、小麦粉などを合わせたフランス料理ベースのソースが使われたと推測されます。
トマトが日本に伝来した江戸時代、その真っ赤な色は「観賞用」として親しまれていました。当時の日本では「食用」としての栽培が始まったばかりとあって、庶民が口にするには抵抗があったようです。香りも今とは比べ物にならないほどにクセが強かったので、敬遠されがちだったとか。
ハンバーグという未知の料理に、馴染みが薄いトマトソースの組み合せ。ふるまわれた人々はどのような感想を持ったのでしょうか…。
トマトのグルタミン酸と牛肉のイノシン酸の相性は抜群です。牛肉100%ハンバーグにトマトソースを合わせて、当時に思いを馳せてみてはいかがですか?
執筆:バーグマン田形
日本ハンバーグ協会理事長。2,500食以上のハンバーグを食べ続けてきたハンバーグマニア。自身が定義付けした「進化系ハンバーグ」を多数プロデュース。食品メーカーやコンビニとのコラボ実績、メディア出演実績も多数。ハンバーグの歴史、最新情報等、ハンバーグのことなら何でもお任せ!
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